バナナフィッシュにうってつけの日

徒然なるままに。虚弱体質の社会人がなんとか生きている記録。

幸せ恐怖症とは……?

私には他人に理解されない思考の癖がある。

 

「苦痛がないと物足りないと感じる」ことである。

かなり変わっていると思うし、幸せなことが嫌いなわけではない。

ただ、幸せばかりだと何か試練がなければならないような気がしてならない。

 

小学校中学年くらいの時から、何故か不幸や理不尽なことが転がり込むようになった。

中高校生になっても、大学へ進学しても、社会人になっても、常になにかに悩んでいた。

ある時は同性からの愛情であったり、ある時は異性からの気持ちであったり、友人や知り合いが持ち込むお悩み相談、職場の変わった風潮など。

家族に言わせれば「いつも他人が持ち込んだことに頭を悩ませている」のだそうだ。

家族は家族で、母方の祖母からは広義での意味の、簡単に言えば「虐待」を受けていたこともある(あまりはっきりとそうだとは思わないけれど、精神的にかなり苦痛だった事は確かである)。

当日は一人になる部屋もなかったから、体育座りした膝に顔を押し当てて、目を閉じて空想することがとても楽しかったことを思い出す。

 

加えて言うと、私は自分のことが心底嫌いだ。

ルックスとか社会的な地位とか細々した事は沢山あるが、一番は内面の問題である。

自分は、自分自身がとても罪深い、嫌な奴だと知っているから。それなのに他人にいい顔をするから、周りからは「いい人」だと思われる。

そんな私を「好き」だという人がいると、ドン引きしてしまうのである。

こんな人間のどこが好きなの……?と。

 

先日「楽しみなことが憂鬱」という、ふんわりしたワードで検索している時にちらりと見かけたのが「幸せ恐怖症」なるものである。

もしかすると、私もこれに当てはまる側面があるのかもしれない……。

引き続き調べてみたいと思う。

 

一方で、絶対にいい方向に転がるという自信がある分野もある。

バランス、なのだろうか。

 

なんにせよ、自分について考える余裕が出来たのはよいことなのだろう。