バナナフィッシュにうってつけの日

徒然なるままに。虚弱体質の社会人がなんとか生きている記録。

幸せは自分が決める

少し前まで働いていた所は、本当に複雑な要素が絡まりあって、私の精神をぼろぼろにした。

ぼろぼろにした、と被害者ぶるのもよくないと思うけれど、私の前任者も早く退職したし、やはり何かがズレている場所だったのだと思う。

退職するまで、立っているだけで座り込んでしまうようなこともあった。

相当参っていたのだと思うし、絶対にあそこにはもう、戻りたくはない。

 

 

新しい職場で働き始めてからも、前の職場で溜め込んだストレスは体に出た。

まだ年休も付与されていないのに、起き上がれないほどの頭痛やめまいがあったり、ある日耳が聴こえにくい、と思い始めてから原因が分かるまでずっと下がらない熱に悩まされたりもした。

 

 

骨を折って松葉杖、とか目に見えやすいものとは違って、そういう症状は他人に理解されにくい。(決して骨折を軽いものと見ているわけではないことを言い添えておく。)

19歳の頃、突然声が出なくなった時もあったけれど、どうやって過ごしたかもう忘れてしまった。ただ、講義室が寒くて、白くて、冷たくて(大学を休まず通っていたのは今でも驚きだ)、離れていく友達もいたし、去り際にひどく傷付く言葉を投げかけられたこともあった。

何のことだか分からないけれど、「それは私に対する当てつけだ」というご意見も頂いた。そう思うのは今考えれば、私になにか罪悪感でもあったんだろう。

とても孤独だったことは覚えている。

それでも乗り越えたし、卒業もした。卒業論文はA+判定で、好きなものをやり通したと思った。

 

朝目覚めて体が動かないとき。

疲労感で動けないとき。

「そういう時もあるよね」とは思えずに、「しっかりしなきゃ」と思うのが私のクセで、性格だから直すのは諦めているのだけど、だいぶ自分でも自分を追い詰めているのだ。

学校や会社を休むのに罪悪感を常に抱いてしまう。これが自分でなかったら、「無理しないで!」と思うだろうに、自分のこととなると責めることしか出来ない。

 

耳が聴こえにくい原因は、前の職場のストレスと、炎症の雑菌が体に回ったことの結果らしかった。悩んだ末に職場に休む旨の連絡を入れて、耳鼻科に駆け込んだけれど「異常なし」と言われて帰され、「何かがおかしいはず」とダメもとで予約制の頭痛専門のクリニックへと向かった。

そこでやっと原因にたどり着いて、今までの私は決して怠けていたのではないと、苦しさから解放された。

予約にたまたま空きがあったこと、そこをネットで見付け出したこと、諦めずひと踏ん張りしたことが幸いした。

 

 

弱い私でもなんとか生きているし、きっと色んな人に迷惑をかけているのだけど、それでも助けてくれる友人も、一握りだけ、いる。

でもやっぱり、そういう「誰の所為でもない」ことに過剰に反応して、こちらに矛先を向ける人もいる。

理解して欲しい訳じゃない。だけど、「そうなったのは私の・俺の所為だって言いたいんでしょう」という考えをする人もいる。

違うんだけど、当人達がそう感じるのは、やっぱり私になにかした覚えがあるのかな、とも思う。

 

 こっちはそれどころじゃないよ!というのが本音なのだけど、臆病なので黙り込んでしまう。

妬むほどの幸運なんて持ってないよ。

でも、確かに嫌なことが続くとラッキーなことが多いという不思議な釣り合いを保ってもいる。おそらくその面だけピックアップして、見ているのだろう。

それは私の一面にしか過ぎないのだけど。

 

最近、思い出をきちんと可視化するようにし始めた。写真は現像する。採用されたメールはプリントアウトしておく。チケットとパンフレットの整理。などなど。お気に入りのバインダーを見つけたら、そこに入れていく。

私が生きてきた、キラキラした気持ちを抱いた、証。

 

幸せは自分が決めるんだ。

誰にも踏みにじる権利なんて、ない。

思い出を大切に抱きしめて、また新しいキラキラに手を伸ばして、生きていきたい。